昭和51年03月08日 朝の御理解
御理解 第100節
「めでためでたの若松様よ枝も栄える葉も茂るというのではないか。金光大神は子孫繁盛家繁盛の道を教えるのじゃ。」
今日私は御祈念中に御理解白書と言う事を頂いた。御理解白書。白(はく)という白。私はよく聞く言葉ですけども、意味を知りませんどう言う事か。何々白書と言った様な事どう言う事で、後から字引でも引いて分からせてもらわにゃいけんのですけれども。私はまあ直感としてこんな風に感じました。御理解白書と言う事を頂いて、今日頂いたのが御理解百節です。ですからこの御理解百節というのは、金光大神の教典の全て教えの全て。そういう風に感じました。
教祖の御教えの全てを、言うなら神様の願いと言うかね、が成就するというか。そういうものを要約すると、私はここん所になると思う。金光大神はいわゆる人間が真実幸せになって行く道だと言う事。いわゆる家繁盛、子孫繁盛と言う事なんです。その家繁盛子孫繁盛を願わない者は、もう一人もありますまいと思います。家繁盛子孫繁盛をの、その道を教えると。なら家繁盛子孫繁盛と言う事は、金光大神が言われる所の子孫繁盛家盛は、これが御理解白書であり。
御理解の全てでありと言う事に、御理解百節を要約致しますならです。言うならばこれは天地の繁栄と言う事になるのです。天地の繁盛です。ね。先ず私が助からなきゃならん。先ず私の一家が助からなければならない。その私の助かりは又は私一家の助かりは、そのまま教団の助かりに繋がっておらなければいけない。ね。私の助かりはね日本国中の助かりに繋がっておらなければならない。日本国中の言うならば平和。ね、国民の幸福天皇陛下を始めとして、国民の一人ひとりが幸福になる。
しかもその日本国民の幸福は世界総氏子の幸福に繋がっておらなければならんのです。でなからなければ、お道の信心にならないのです。教祖はそう説いてあるのです。ね。教主様も今の教主様も。ね。庭先を綺麗にはわくと言う事は、世界を綺麗にする事に繋がりますと仰っておられます。ね。自分の門口を綺麗にはわかせて頂くと言う事は、これは世界を清めて行く事に繋がりますと仰る。ね。それが隣からまた向こうの隣と、清めに清めて行くなら、それが世界中に広がって行くというのです。
ここで言われるいわゆる、和賀心時代を創るというのも同じ意味です。ね。先ずは私の心の中に和賀心を頂き、ね、それを一家に全教に、ね、言うなら日本国中に世界中に広げて行こうと言うのです。だから教祖様の仰る言うならば人間が幸せになると言う事がです、只あなたの所の商売が繁盛して家庭が円満で。もうそれで良いと言う事では、決してないです。ね。教祖金光大神は、ね。そこに安住をする事を許されません。
昨日ある方がお参りをして来た。まあもう本当に親先生任せにしときゃ間違いないから安心しとりますとこう言う。どんな事があっても。所が昨日お願いに見えたのは、矢張り心配になる事です。それは親先生の、まっ御教えを頂いて安心したいと、こう言う訳なんです。その事をお願いさせてもらいよったらね、あの吹流しというのがあるでしょう。吹流しがもう勢いよく、こうまあね鯉幟と一緒にあの五月の空の吹流しと、こう言うでしょう。あれです。
それがあんまり勢いよくこうやって、まっしとるもんですからね、そのこう先がこう何ですかね。タコの足のようになっとるでしょう。あれが一本一本切れて千切れて行くとこを頂いた。ね。ただ自分の家だけが繁盛しております、安心しております。そして次に頂く事がね、あの傘を段々古くなりますと、あの傘の紙がこうはみ出ましょうが。こう畳んでも外にはみ出るでしょうが。ね。だから干してからこう畳むと、紙が外へ骨の外出とる訳です。そのままほうからかしとくと、あそこから破れる訳です。
引っ掛ったり何かして。ね、だから干し上げて畳む時には、はみ出とる傘は骨と骨との間に、こうやって押し込んで行かにゃいかんでしょうが。それをしとらんという。安心しとりますというのは、その方がもう本当安心しとりますというのは、ね、本当の安心じゃない。今の様なこんな状態だったら、もうすぐその安心の傘と思うとるけど、その傘が破れてしまうぞと言う様な感じ。ね と言うて別にその、まっ道のためとか教会のために尽くそうと言った様なものは、まあない訳です。
ならお願いしておかげを頂きゃ、まっお礼参拝をすると言う様な事なんです。だからもう本当に私は、もう合楽に御縁を頂いて、もう安心しとりますとこういうのは。ね、あまりものいわば安心で。言うならば傘の紙がはみ出しておる。そりゃ長くは持てんもうすぐ破れるという前提のようなもの。今ごひれいを頂いて、ほれはもう、大変繁盛しよります。もう私の方だけは不景気知らずと言うです。自分で。ね。
所がおかげ頂いとる確かに。けれども丁度5月の空に上がっておる、あの吹流しがです。ね、言うならば神の吹流しが、あんまり勢いよくしておる間に、あの足が一本一本とれて行くとです。もうあれが足がなかなら上がりませんもんね、風が吹いたっちゃ。あしちゅうですかね、あの先のがこうこう切ってある訳。ね、だからそういう例えば、金光大神のいわば子孫繁盛と仰る。今貴方が繁盛しておれば、もうそれで良いちゅう事じゃない。子孫の繁盛に繋がらなければならない道を教えると仰る。
私は今日御理解白書と頂いた事はですね、まあもう意味は本当に分からんけれどもです、私が直感したように御理解の全てと。御教えの全てがこの百節だという風に、結局ギリギリはここのおかげを頂いて貰いたい、頂かせたいの神様の神願です願いです。今おかげ頂いとってもです。ね、二代に繋がらなかったら駄目です。昨日秋永先生が昨日あの松栄、松影会の信徒集会ですね。こっからも皆さん沢山おかげを頂いた。
後で色々話の時にある先生が、合楽はえらい大変今ごひれいが立っとるばってん、あん若先生があれがつまらんけんで、長くは持てんち言うた。そういう話がありよる所に、秋永先生ちょうど行ったげなけんで、そのもう聞きよると腹の立つけんと思うちから、まあ、その場を避けたとこう言うておる。そして秋永先生が言われる事がです。本当に本当なものは分からんと言う事です。
私達の信心でもです。ね、ただ一時的にそれこそ流行り神様のように、合楽がごひれいを頂いておるという風にしか感じていないでしょう。だから大坪さんがおる間はばってん、ああもう二代になったらつまらんち。第一高宮の若先生。それから行徳先生んとこの照磨先生。もう二代が偉い。で合楽は二代がつまらんち言うてから。馬鹿じゃなかじゃろうかち言って、秋永先生が思うたと言う。
家の若先生の本当の偉さを知らんからだと。とてもそれは昨日総代会でしたから、総代会でその話をしてるんです。家の若先生が色んな会合に出られて一言ゆったらピチッと決まる事をおっしゃるでしょうがと。けれどもまあ分からんヤツは分からん。合楽の事も分からんし若先生が。また実際ねまあ昼あんどんのごたる風にしとりますもんですからね。はっは。昼行燈ちゅう意味は分かるですか。はっは。あったっちゃなかったっちゃ良かごたる感じですよ。ね。
ですから同時にです、ならあちらの子供さん達が一生懸命、あの修行に打ち込んでおられる姿を、とにかく神様が育てござるとしか思われん、その中に若先生はありなさるとだから。ね。もうそげな心配はもうサラサラしもせんし、またでないとも思いもせんけれども。いやむしろ家の若先生は大者だとさえ思うとるのにです。ね、いわば知らぬ人はそう言うち言うて。ね、えらいその若先生のが周囲では評判が悪い。それはまあ親が悪いから同じ事理屈はね。
だから今はあれだけおかげ頂いておるけれども、長くは続かんがのという意味じゃないでしょうか。ね、それは成程合楽がただ、ね、今私は朝の御祈念の朝いつも御祈念の一番はじめと一番最後に、神様から一番始めに願う事は、合楽教会大発展の神願御成就に相成りますようにと言う事です。これが今一番始めに唱え言葉です。だから一番始めに言うとけよと神様は仰るけれども、また一番最後にこの事をまた。合楽教会大発展の神願御成就に相成りますように。
もう後先にこの事を繰り返し願わせて頂いております。合楽教会の言うなら大発展は、そのまま天地金乃神様の願いなのだ、神願なのだと。だからこの御神願が成就致しますように。ね。その神様のお働きの、だからお邪魔になりませんように、お邪魔になりませんようにという信心を、愈々続けて行かなければならんと言う事になるのです。そんならば、これは合楽の場合ですけれども。そして秋永先生が言っておられました。
合楽は先日から御理解を頂くとです、現在の合楽は繁盛でもなからなけりゃ何、まあだ本当の繁盛の神願が御成就する事の為の、今合楽は基礎づくりだと。だからその基礎の事は、皆が知らんとこう言っています。根っからの所じゃから。だからあっちは若先生がつまらんと分からんのです。まあだね繁盛しとるのじゃないです。ほれはもう大変なごひれいだと人は言うかも知れんけれども、まあだこんな事っちゃないです。
これはまだ基礎づくりです。5回も10回も例えばこう、大きいなら高い建物が出ければ出けるほど、基礎をしっかりしとかなきゃなりません。だから打ち込んでおる所、いわば目に見えない所、地下の所は人には分からん。秋永先生がそれも、昨日それを言っております。分からんはずじゃんのと。まだ合楽は基礎づくりだからとこう言われる。ね。また私もそう思います。そこで基礎造りの時にお互いの信心がです、金光大神はそれこそ子孫繁盛家繁盛の道。ただ繁盛の道じゃだけじゃない。
子孫もね親の代よりも子の代と繁盛して行く道を教えて下さる。教典の全てがそうなんだと。それをんならどういう在り方にならせて頂いたなら良いか、どういう願い方をしたなら良いかというのが、天地書附なんです。生神金光大神天地金乃神一心に願え、おかげは和賀心にある。一心に願うて行く事は、私の心の中に和賀心を頂かせて下さいと言うのです。今朝私は今日は秋永先生ところのお爺さんの三、何、三年ですか、五年の式年ですか。がございます。
で今朝その事を神様にお願いさせて貰いよりましたら、お爺ちゃんが普段着でもうもうそれこそ、にこやかな姿を頂きました。もう私は御霊祭りで朝から頂く事は初めてでした。ね、あちらがあのお爺ちゃんが亡くなられました時に頂いたのが、あの和楽の徳と(仰った?)、和楽。平和の和と楽しいと和楽。ね。若い時にはずいぶん家内子供に心配をかけた方らしい。けれども東京大震災を境に、ね、裸一貫でまた田舎に帰ってみえて。それからというものはもう絶対腹は立てんと。
もう家内に嫌な事はせん喧しゅう言うような事はせんと、もう決めて何十年間ね。まあ九十で亡くなりましたから、まあ二十五からしても、(どうしょ?)ですからね。何十年間と腹を立てなかったちゅうんです。やっぱ文男先生なんかお爺ちゃんのそげんとこを頂いとっとじゃろうと思うですね。だから心がもうお爺ちゃんの腹けちゃる顔見た事がなかった。いつもにこやかである。私は普段着のお爺ちゃんと言う事は、もう平生心と言う事だと思いました。平生普段。ね。
だからこれに信心によって、あの和の心が出けておったら、大徳を受けておられたでしょう。ただ人間が柔らかで穏やかでというだけの事である。ね。いわゆる信心の世界に縁を受けられて、まあその手掛りがあるから、御霊ながらにも精進しておられる事でありましょうけれどもね。私どもの言うならば信心の中心は和賀心です。ね、和の心だけではなくて、その信心の喜びが伴うておらなければいけません。お目出度う御座いますと言った様な心が、いつもなからなきゃいけません。
陰気な人はおかげを頂きません。ね。お目出度う御座いますと言う様な顔でなからにゃ。これは不思議に心が変わるとね、どんな寂しい顔でも賑やかな顔になるです、間違いなく。14~5日前だったでしょうか、もうあの北野の中村さんが、もうそれこそもう涙を流してもう悔まっしゃる事、悔まっしゃる事ばさらか。久しぶり秋山さん行かれた。だからおばしゃん、アンタは悔む親先生から頂いとるでしょうがち。喜久世の喜喜びを取ったら、後はクヨクヨになっとるが。
もう今は本当にアンタ、クヨクヨさんになっとるとよち。したら丁度そこに善導寺の原さんも行き合わせられて、二人で一生懸命話したら、もう大変元気づいた。ほんなこつかずえさん、私は悔んでばっかりおってから、肩が神経痛で痛む。人は神経痛は足が痛むち言うばってん、私は手が痛むけんどんこんされんち言う。あんたもうそげな考え方をしてから足が痛むなら、あんた歩きもされんばってん、手じゃけんでよかじゃんの。もうアンタはもうとにかく喜びを無くしてしもうてから。
そげな事っちゃおかげ頂かんよち言うて、もうえらい気合をまあ二人で入れたて。もうほんなこつそうじゃった忘れとった、これからは悔まんと言うて一週間めくらいに、またやらせて頂いたらもう全然顔色から変わっとるち。そして神経痛も痛かろうばってんから、もうこうしてちんちろまいさせて頂きよるけん、もう痛かつを感じんち言うて。これは昨日、秋山さんのお届けの中にありました。本当に心が変わるちゅう事は、こげんも顔色が変わるもんじゃろうかち。皆さん一つ鏡ば見てごらんなさい。
貴方がたの顔が悔み顔になっとる人がおりますよいくらもここん中に。クーとした顔をしとるちゅう。ね、暗い顔をしとる。もう悔まんと決めたらもうそこからです、顔が生き生きとしてからにこやかになって来るです。ね。和賀心。昨日ちょうど総代会の中場でした。若先生がちょっと不思議な事っじゃある、たまがったち言うちから、もうえらいそうぞうしゅうその私どんが総代会の所入って来ましたもん。そこの徹美君とあの石井君と三人で入って来ました。
どうしたのち言うたらちょっと親先生、これば聞いち下さいと言うてその、カセットを持って来てる訳です。で丁度あの徹美さんの大変事故でおかげを頂いたお話が入っとるとを、お母さんが入れて帰って家に持って帰っとった。ね。所が聞きよったらねそのその丁度徹美さんの話が出て来る所にね、それはまあ異様の音が入ってるです。そしてその異様な音の中それは一つの、まあリズムですけれども。そのリズムに合ったよう合わしたように、その歌が出て来るんですちょっと。
それはどういう歌かと言うと、その背なのあの背なじゃったかね。ああ背なで鳴いてる唐獅子牡丹という、そこだけが入っとるんです。背なで鳴いてる唐獅子牡丹。二偏聞きましたが、何か身がずうんとする思いがしました。もうどげん考えたっちゃ親先生、スイッチ入れとる訳でもないとにですね、ここが入る訳はなかって。しかも私が話がある所のその合間に、もうそれこそ異様な音がするんです、オーと言う様な。
そして良く聞き取れませんでしたから、あそこはどげなん歌のち文句のち聞いたら、背なで鳴いてる唐獅子牡丹、それだよって私は申しました。勿論その歌は確かに、あのそん石井君と徹美君と二人で歌うたんだそうです。そこだけが入ってる。そして後はまたずっと御理解続いてるです。もう不思議な事があればそれはあります、もう様々な事があります。ね。例えばなら松岡さん所の確かに入って、胸の中に入っておった空気銃の玉が、ね、お夢の中でお取り祓い頂いたって。
もう根も葉もないごたるもうそれこそ、こっけい談のようですけども、事実なんだから仕方がない。取れとったって。もう神様の働きを受ける時には、もうそれは様々な不思議な事が色々ありますけれどもです。私はそれを聞かせて頂いて思うたです。成程背なで鳴いてる唐獅子牡丹です。獅子はね、自分の子を千尋の谷に突き落とすと言われております。そしてそれを這い上がって来るのでなかなきゃ育てないそうです。ね。
例えば言うならそれこそ深い谷間に自動車が、スピードを出して飛び込んだ。神様が言うならば突っ込んでござるとですよ。ね。そしてこれを這いあがって来てくれるだろうかというその親は、悲しいまでの思いで突き落としとるとです。これはなら私どもの苦労時代、修行時代も同じ事が言えます。ね。信心させてもらいよるとに、どうしてこんなに難儀が続くじゃろうかと。目も当てられんような言うならば貧乏の最中に、次々起きて来るところの難儀な問題というものはね。
上がって来よりゃ突き落とされ上がって来よりゃ突き落とされしておるようなものなんです。ね。私いつも申しますようにです、それこそ土俵の上で師匠が弟子を鍛う時に。ね。この男は見込みがあるというとじゃなからなければ、投げその投げたり引いたりはせんど。ね、これはつまらんというヤツは。ね。これはちっと稽古をつくんなら、それこそ末は大関か横綱にでんなろうというごたるとは、もう人一倍鍛うそうです。ね、それこそ背なで鳴いてる唐獅子牡丹という。ね。
その神様の御心中を思うた時です。神様がこんなにまでして鍛えておって下さると思うたらね、もう有り難うして有り難うしてという、そういう道を金光大神は教えておられるんです。難あって喜べと難はみかげと。信心して変わった事が起こって来たら、有り難いと心得て信心せよと。信心しよるとにどうしてこう言う事が起こるじゃろうかと言った様な事を教えちゃないです。ね。
そう言う所を頂いて私は初めてです。ね、子孫繁盛家繁盛の道。いわゆるの道を開く事が出け、またそういう道を教えておられると言う事でございます。ね。今はちょっと不如意な事だが、どうしてじゃろうかてん何てん、へこたれたり。はあお参りしたばってん、駄目じゃったてん何てん、それはもうだからそれまでの話なんです。まず皆さん(自分?)一つ今日は鏡を見てから、自分の顔がにぎやかでほがらかで。ね、明るい顔かどうかばいっちょ確かめて。はあ成程こげん悔みまわっとるけん。
そのはずたいちゅうごたるもんばいっちょ思うて。中村喜久世さんじゃないけれども、おばしゃんアンタが悔んだらクヨクヨさんになるて親先生が言うちゃろうがの。それば忘れたのと言うて原さんと二人で一生懸命話して、もうかずえさん決してこれからは悔まんちゅうて、もうそれこそ十日ぐらいになりましょうが、まだ一回も悔まんじゃった所が、もう店の御用ば一生懸命バタバタやっとる。そして痛かごたるばってん、痛さを感じんくらいにおかげ頂いとる。顔はもう生き生きとしておる。ね。
喜びに満ちて来た。ね、そういう私は先ずおかげを頂かにゃならん。御理解百節というのは、私は言うならば、御教え御理解白書だと頂かにゃならん。それを私は今日はね教祖様の御教えのギリギリのおかげを受けてくれよ、おかげ頂かせたいという、止むに止まれん心はこの目出度目出度の若松様よと言った様なおかげが、あなた一代じゃない、子孫にまでも続くようなおかげの頂けれる道を教えるのじゃと言うのです。
その教えて下さる道の中には、それを、またぎりぎりの所を言うと、天地書付けです。ね、悔んじゃならんニコニコしとらなきゃでけん。しかもお目出度う御座いますと言う様な賀の心、喜びの心がなからなきゃいけん。ね。そういう教えそういう道を教えておられるのです。ね。私の助かり一家の助かりは、そのまま教団の繁栄助かりに繋がる。日本国中の、言うならば、ね、天皇陛下を始めとする、国民の全部が幸せになって行く事に繋がる。日本の国の繁栄に繋がる。
しかもそれは世界総氏子身の上安全、世界真の平和にも繋がるんだと。だからこの教祖の御教えの子孫繁盛家繁盛は、あんたんところだけが幸せになりゃ良かばいというのじゃないて、あんたん所が幸せになったらその幸せが、ね、次から次といわゆる合楽示現活動へ参画させてもらうという働きになって来なきゃいけんのです。ね。合楽教会大発展の神願成就のおかげを頂くと言う事を願うならばです。
合楽に御神縁を頂いとる貴方の家も、矢張り繁盛になる繋がるんだと言う事です。ね。そこでです、ね、この子孫繁盛家繁盛と言う事、この百節にあるそれは、ね、世界の繁栄に繋がるのだ。世界総氏子の身の上安全に繋がるんだというほどしの素晴らしい御教えですから、成程御理解白書と言う事が言えます。ね。自分方が繁盛しよる、はあ親先生に心配事の時お願い行きゃ安心だという安心は、あまりもの安心。
ちっと雨風が強うなったら、もう不安にならなきゃならない。それば安心と間違えて放からかしとくと、紙がはみ出してそこから破れて来る。ね、さっきからのお知らせがそうです。ね、信心させて頂いてどう言う事があってもです。ね。それこそ今度一遍聞いて下さい。それはもう実に異様です。御理解の中にほんのそこだけ入っとるです。背なで鳴いてる唐獅子牡丹です。
神様の心を分からせてもろうての信心でなからなければ、そう言う事がそういう働きが起こって参りません。信心しとるのにどうしてじゃなくて、信心させて頂いてして、しかも自分に神様の鍛えがあるからこそ、このお鍛えを頂いているんだと言う所になります時にです、その事に対してお礼が言えれるようになります。難儀なら難儀の事に対して、お礼が言えれる信心を頂かにゃならん。また教祖はそういう道を教えておられる。その道が、子孫繁盛家繁盛の道に繋がるのです。
どうぞ。